―2019年にピアノソロ作品『Spectrum』を発表後、大規模なツアーをされました。その後、コロナ禍の2020年以降はどのような予定だったのでしょうか。

「2020年の3月まではアメリカでツアーを行っていたのですが、3月頭に緊急事態宣言が出て、その後決まっていたスケジュールが全部キャンセルになってしまい、それで日本に戻ってきました」

コロナ禍でミュージシャンにとって大変な状況になりましたが、上原さんはかなり早い段階で「One Minute Portrait」というプロジェクトを始められましたね。

「1分間の書き下ろし楽曲を、リモートで様々なミュージシャンと共演してSNSで発表するという企画で、5月から始めました。ミュージシャンたちがみんな、急に仕事がなくなってしまったので、何かできないかなとずっと考えていて、そのなかで思い付いた企画です」

スティーヴ・スミスに始まり、アヴィシャイ・コーエン、サイモン・フィリップス、シャソールなどなど、かなり豪華なメンバーが参加していますが、どなたも上原さんからの提案だったのですか。

「はい。みんな同じ状況だったので、快く賛同してくれました」

ファンからすると、とても勇気づけられる企画だったと思います。

「そう言ってもらえると嬉しいです」

“One Minute Portrait”が話題になった後、2020年の8月からはBLUE NOTE TOKYOの企画“SAVE LIVE MUSIC”が始まります。それもかなり長期に渡って行われましたね。

「BLUE NOTE TOKYOは、たくさんの海外アーティストを招聘しているのですが、それが一切できなくなっていました。ずっと長いお付き合いをさせてもらっているので、なにかお手伝い出来ないかと思ったのがきっかけです。スケジュールの穴埋めになればと思って手を挙げて、それでお互いにアイデアを出し合ってこのシリーズを立ち上げました。結果的に、8月、9月、12月、年をまたいで1月、3月、5月と長期に渡って出演させてもらいました。矢野顕子さんからは“BLUE NOTEに表札付けたほうがいいんじゃない”って(笑)」

上原さんの様々な魅力を知ることができる、バラエティに富んだシリーズでした。

「たしかにこの状況だからこそ出来た、というのはあります。最初はソロでの出演でしたが、タップダンサーの熊谷和徳くんや矢野顕子さんも日本に戻ってくるというタイミングだったというのもあって、声をかけさせていただき、満足できる企画になりました」

昨年12月には新作アルバムの布石となる弦楽四重奏と共演されています。この企画は、もともと温めていた企画ですか。それとも、コロナ禍だから始まったのでしょうか。

「コロナ禍だったから、というのが大きな理由です。BLUE NOTE TOKYOの企画の第一弾はソロ・ライヴをやって、お客さんにもすごく喜んでいただけました。でも、この状況はまだ続くだろうということもあって、第二弾をどうしようかと考えました。次もまたソロというのも面白みに欠ける。でも私のバンドのメンバーは来日できないので、日本でできることはないかと考えた時に、弦楽四重奏との共演を思い付きました。もともと弦楽器が大好きで、なんとなくこんな事もやってみたいと思っていたのですが、その構想がどんどん大きくなっていきました」

具体的にはどのように進めたのでしょう?

「2015年に新日本フィルハーモニー交響楽団と共演したことがあって、その時にコンサートマスターの西江辰郎さんと知り合いました。彼はクラシックだけでなくいろんな音楽が好きな方で、なおかつ人間的にもすごく波長が合ったので、よく連絡を取っていました。それで西江さんに“弦楽四重奏と共演してみたいんだけど”って相談したところ、“やろう!”と言ってくれました。だから本当にライヴありきの企画です」

最初の企画段階ではどういう楽曲を演奏しようと考えていたのでしょうか。

「やるからには新曲を書こうと思っていました。昨年の3月以降ツアーが中止になってからは、できることといえばピアノの練習と曲を書くことしかなかったので、とにかく曲を書きたいという欲求がすごく強かった。ライヴがないということは、自分の中のエネルギーの出しどころがないんですよ。コロナ禍以前は毎日のようにライヴをやっていたので、その分のエネルギーの発散を曲作りに向けました。普段は曲を書くことはとても自然なことだったのですが、以前に増して書きたいという気持ちが凄く強くなっていった。だから、西江さんに最初に連絡したときも“どんな曲をやるの”って聞かれたのですが、はっきりと“これから新曲を書く!”と伝えました」

具体的に曲を書き始めたのはいつからですか。

「やろうと決めたのが去年の9月だったので、「Silver Lining Suite」はそれから書き始めました。あとの曲は、One Minute Portraitの企画でもともと1分間のモチーフがあったものを拡張させました」

なぜ「Silver Lining Suite」という組曲形式の楽曲を書こうと思われたのですか。

「アメリカツアーが中断した去年の3月から、ライヴのために曲を書き始めた9月までの半年の間に、自分の中で気持ちのアップダウンがすごくありました。それは今でも続いていますが、なかなかこんなに短期間でこれだけ気持ちが揺らぐことってそんなにないので、自分の感情をそのまま曲にしようと思ったらこうなったという感じです。不安はもちろんですが、奮起して立ち向かおうという気持ちや、コンサートが中止になって落ち込んだときの気持ちとか、味わった気持ちを全部曲にしていこうと思って書きました」

楽曲としてあらためて振り返ると、その時の感情が反映されていると感じますか。

「そうですね。それはすごく感じます」

組曲形式へのこだわりは?

「最初から組曲にしようと思っていたわけではないのですが、曲を書いているうちにいろんなモチーフが出てきて、それが大きく分けて4つの感情を元にしたものでした。それをわかりやすく示すには組曲という形式がいいじゃないかと思ってこうなりました」

弦楽四重奏と一緒にやるということは、即興性の高いソロやバンドとは違って、コンポジションありきというイメージがありますが、曲の作り方はちがうものでしょうか。

「インプロヴィゼーションをするのが自分だけという観点では、たしかに他の編成とは違います。ただ、自分が即興で弾いている時に、伴奏している音が譜面に書かれたものであっても、私がその時に弾いていることが違えばそれに準じて当然変わっていくものです。私のソロ・パートを組み立てていく際に、バックでどのように弾いてもらうのかを詰める必要があったし、それに対する理解もメンバーにあったので、基本はバンドとやることとそんなに変わりはなかったという気がします」

上原さんはバークリー音楽院で作曲を専攻されていますが、曲を作ることとピアノを弾くことは別物ですか、それとも密接なことでしょうか。

「演奏するのとはちょっと違うかもしれません。実際、BLUE NOTE TOKYOでのライヴでは弦楽四重奏だけの曲も披露したのですが、そういった自分が楽器を弾かない曲を書くこともあるので、作曲家としての自分とピアニストとしての自分は少し違うという感覚があります」

作曲家としての上原さんは、プレイヤーとしての上原さんと比べると、よりメロディアスでロマンティックな一面があるように感じました。

「それはヴァイオリンという楽器の力かもしれないですね。ピアノは弾いたら徐々に音が消えていくのですが、弦楽器はサスティナブルで伸びていくので、歌い上げるメロディが書きやすいんです。それでメロディアスになったというのはあるかもしれません」

このライヴで始まった弦楽四重奏との共演企画を、アルバム『Silver Lining Suite』として作品を残そうと思ったのはどういう理由でしょうか。

「ライヴをやってみて、自分が思った以上の出来映えだったので、純粋にこれは録音したいと思いました。ライヴの勢いでレコーディング出来たというのも大きいです」

組曲『Silver Lining Suite』とOne Minute Portraitの企画で披露していた曲がメインになっていますが、選曲の基準は?

「組曲は当然録音しようと思っていたのですが、それ以外は“One Minute Portrait”で作った楽曲の中から、弦楽四重奏に合いそうな曲を選びました。でもよく考えたら、全部弦楽器との共演のために書いた曲ですね。アヴィシャイ・コーエンはベーシストだし、エドマール・カスタネーダのハープも弦楽器。ステファノ・ボラーニはピアニストですが、ピアノも大きく解釈すれば弦楽器の一種。だから弦楽四重奏に合ったんだろうなって思います」

実際に弦楽四重奏と共演したことで、楽曲が成長したという感覚はありますか。

「そもそも“One Minute Portrait”のために書いた曲は1分しかなかったので、モチーフとしては8小節くらいでした。だから、起承転結を書き加えたりして、フルサイズにする過程で、かなり楽曲が変化していったと感じます」

一曲だけ2012年のアルバム『Move』に収録されていた「11:49PM」をセルフ・カヴァーしていますが、この曲を選んだ理由は?

「これはもともと弦楽器でやってみたかったんです。最後に秒針を刻むような表現が出てくる曲で、それをピアノで弾いていました。でも本当は弦楽器のピチカートがずっと頭の中で鳴っていたということもあって、せっかくだから本物の弦楽器で弾いてもらいたいなと。それと、いつかはこの状況も明けるんだっていうメッセージを込めた楽曲だったというのもあります」

ソロ演奏による新曲「Uncertainty」も収録されています。

「これも今年の頭に書いた曲です。BLUE NOTE TOKYOの企画が緊急事態宣言のために延期になってしまって。お客さんもせっかくスケジュールを合わせて来てくださっているのに、延期になってしまうと気持ち的にも疲れるじゃないですか。だから、延期されたけれど“それでも良かった!”と思ってもらえる理由を作りたいなと。それで新曲を書くということを心がけていて、その時の一曲ですね」

最新作の『Silver Lining Suite』は、これまでにはない落ち着いたアルバムですよね。ゆったりと向き合って聴きたい作品だと思ったのですが、ご自身ではどう感じていますか。

「とにかく弦楽器とのアンサンブルが新鮮だと思います。弦楽器の響きが厳かで素晴らしいなって。そういった意味では、弦楽器の気持ちよさを堪能できる作品だと思います。そして、ピアノとの相性もいいですね。ピアノ五重奏という編成が何百年も続いているのも納得できます」

クラシックだけでなく、ジャズでもこういった編成の作品はありますが、インスパイアされた作品はありますか。

「参考にしたわけではないですが、チック・コリアとゲイリー・バートンが共演した『Lyric Suite For Sextet』がすごく好きで、ああいうのをいつかやってみたいなと思っていました」

『Silver Lining Suite』はこれまでのご自身キャリアの中でも特別なアルバムだと思うのですが、ご自身ではどういう位置付けですか。

「間違いなく今じゃなきゃ出来なかった作品ですね。コロナ禍ならではの時代の産物じゃないでしょうか」

この編成では、まだまだ拡がる可能性がありそうですね。

「弦楽器との共演にはもっと可能性があるなって感じています。またそういう作品を書く機会もあるだろうし、もうこれでおしまいということにはならないと思います。弦楽器って魔力があるんですよ。他の楽器にはない妖艶さというか、取り込まれそうな魅力がある……もちろんピアノはピアノで魅力はありますが、弦楽器特有の音そのものが魔物みたい。リハーサルをしているときも、自分の書いたパートを演奏してもらうじゃないですか。その間、ずっと聴いていたいなあって思っていました(笑)」

アルバムのリリース後はツアーも控えていますし、上原さんは音楽を作り続け、演奏し続けると思いますが、目標などありますか。

「とにかくライヴを行いたい、ツアーを続けたいということです。焦っても仕方がないので、できるタイミングでコツコツとやっていくしかないですね。ただライヴがないと仕事がないのと同じなので、日常的にライヴができる環境に戻って欲しい。今回BLUE NOTE TOKYOでの企画は、ライヴ業界を救済するという名目があったのですが、実際には自分の気持ちが助けられたというのもあります。音楽を演奏し続けることが私の人生なんだということを、あらためて思い知らされました。通常通り音楽活動ができるようになることを願っています」

(おわり)

取材・文/栗本 斉
写真/平野哲郎

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